士農工商の闇
- 2024/11/01 15:15
- カテゴリー:日記とメモ
母から 「職業は【士】の付く資格を」 と教えられました。そのためか2人の息子ともに「士」の付く国家資格を取り、それを肩書に仕事をすることになりました。
「士農工商」の「士」です。
士農工商という言葉は、奈良時代に大陸の唐から儒教の考えが日本に伝わったもので、江戸時代の日本の実態とは異なるそうです。
考えてみれば、江戸時代の田舎には「庄屋さま」と呼ばれる長が居て、農業の他に工業や物流を仕切っていたことが知られてます。
小・中学校の教科書に部落問題が初めて載ったのは1972年のことでした。その頃に教育関係者たちが一部の儒学者の学説を正しいとしたことから、学問としての反日活動が静かに浸透してゆきました。ちょうど中共の経済力が増した頃です。それから2000年頃までの約30年間、差別としての「士農工商」が日本人に刷り込まれ続けました。
◆小学校の教科書
「江戸時代の社会は、支配者である武士をはじめ、百姓や町人など、さまざまな身分の人々によって構成されていました」
「また、百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人もいました。これらの人々は、差別の中でも、農業や手工業を営み、芸能で人々を楽しませ、また治安などをになって、社会を支えました」(東京書籍「新しい社会6」)
「差別」という単語。これが声高に叫ばれるようになった時期と、隣国からの侵略が一致します。1年2年そして数年間は今の動きですが、10年20年そして数十年間は歴史に刻まれ、変えることのできない史実です。取り返しがつかない年数です。最近は自分も含めて日本人が馬鹿の集団だと思うようになりました。無知の知を噛み締めてます。
さて、『士農工商』の本来の意味です。
古代中国の四字熟語では身分を表すものではなく、元々は職業に関する言葉だったそうで「全ての職業」「民衆一般」の意だったそうです。
「士農工商」という言葉が大陸の唐から日本に入ってきたのは、まだ武士のいない奈良時代でした。つまり士農工商の「士」は「武士」では無いことがわかります。当時の唐での使われ方と同じで日本でも「士」は知識人や役人を指していました。
母が祖父から受け継いだ「士のつく職業」の意味が、そこであったことを今更ながらに知りました。まさにミネルバの梟です。