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【日記】家系の話、梅鉢紋、三つ柏紋

我が家の家系は大陸から移住して来たガォ氏集団が始まりだそうです。古墳時代に大きな勢力を形成したのですが、勢力闘争で失脚してからは、ガォ(クァオ)家は細切れに解体され、ガォの漢字にもう一つの文字を付け、それぞれを区別しました。多くの分家の中央、ガォ先に立った本家は、世捨て人として中央に留まり神事に関わるようになったそうです。聖徳太子の飛鳥時代を発端とした神仏習合の奈良平安時代の前です。

鎌倉、安土桃山時代から戦国時代にかけても、そのまま勢力争いから離れて神事を司っていました。その結果、戦の結果に左右されること無く江戸時代に入っても神事を司り、内部家老として草薙の剣を守り続けることになったようです。

この家系は今も神官や宮司を表す三つ柏紋を掲げてます。

「柏餅」は端午の節句に食べる縁起ものです。葉が茶色く枯れても新芽が出るまで落葉しないことから『家系が途絶えない』と言われ、長男のお祭りに縁起をかついでお餅を包んだのが「柏餅」だそうです。

柏の葉が神事に使われ始めたのは、縄文時代よりも前の時代だったそうです。高温で焼いて作る磁器は無論のこと、土器も無かった頃だそうです。「柏の葉」の上にお供え物を載せ、手を打って神を呼び祈祷を捧げたことから、神様に対する「はくしゅ」を「柏手(かしわで)」と称するようになったそうです。

他の木の葉ではなく柏の葉が使われたのは、言の葉が神そのものであり、柏の葉の持つ独特の爽やかなオイゲノールの香りに殺菌作用があることから、日本列島の超古代人のコト葉に使われたと考えられてます。

もちろん、3と言う数字は洋の東西を問わず古来から伝わる神数です。

 

ガォ先に立った家系は江戸時代末期には、お家騒動により藩主のお取り潰しから藩を守るために、自ら責任を被り家長は切腹、藩を護った代償に富を報じられ、苗字帯刀のまま幕末を迎えます。

明治時代はヨーロッパの日本趣味に乗じて綱元として貿易業で成功したと伝え聞いてます。神事の一線から離れても、富をもって文化に貢献し、明治に入ったときには、その学才をもって多くの神社仏閣を助け現在に伝えました。これが祖父の生涯でした。

三河の高しのはま(高師の浜)

残念ながら明治時代には台風で貿易船が難破したのがきっかけで、3大財閥に経済の覇権を許すことになりました。その頃にはヨーロッパの日本趣味も落ち着いた頃でした。

戦後の混乱時には生活苦から流入してきた半島の非民階層の人々を助けましたが、「マサオさん」と呼ばれた老婆一人を除き、恩を知らず仇で返す人々ばかりでした。

おとぎ話のようですが、祖父の若い頃はチョンマゲだったそうですから、それほど遠い昔の話ではありません。

ちなみに英語で fairy tale/妖精物語と言われる「おとぎ話」は、説いて伝えた話、つまり口伝の意だそうです。江戸時代には主人に仕えた側近で話し相手や相手約を務める人々を「御伽衆(おとぎしゅう)」と呼んだそうです。

梅鉢紋を掲げる土師家で、明治を迎える頃まで墓石職人だった母の家系は、戦後も会社のお伽衆、つまり相談役を努めてました。部署は総務だそうで、雑用係として全ての相談を受けていたと伝え聞いてます。

土師家も古墳時代に大陸から移住してきた集団ですね。分家に菅原道真が居ます。

この家の庭にも樹齢2百年ぐらいの見事な枝垂れ梅や、裏門に門被りの可憐な小梅が残ってます。60年前ぐらいまで孔雀が飛んできて羽を休めていた枝垂れ梅に花が付くと今でもメジロやウグイスが蜜を求めて集まります。花の時期には、風に乗った梅の香りがきっと太宰府まで届くことでしょう。

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