御用学者
- 2024/11/05 15:29
- カテゴリー:日記とメモ
日本では利権学者とか御用学者の力が絶大です。ボクが40年間を過ごしたウィーンとの大きな違いです。
日本の多くの学者が国際会議では相手にされず、適当にあしらわれる間に徐々に日本の学問が孤立の方向に向かってます。
だいたい日本の古代史を紐解くのに外国の学者さんの研究が頼りなんてのは、愚の骨頂です。大和マンジュウが九州が本家なのか、畿内が元祖なのかはどうでも良いことで、九州説と畿内説についてカネに目がくらんだ学者が学説を展開しているような状態では混乱ばかりで研究が進みません。
それが我が国の古代史について、肩書の無い民間人の調査に頼るしか無くなってしまった原因だと思うと、馬鹿さ加減に失望します。
民間の研究が悪いわけではありませんが、古代文字に目に見えない力が宿るとか、論点が変な方向に行ってしまうと、事実を積み上げ仮説を立て真実を求める姿勢が失せてしまうことが問題です。全部とは言いませんが、歴史と真面目に向き合ってない一般人が、何の目的なのかわかりませんが、全く証明できないようなことで人を騙すような本が玉石混交で普通に売られてます。盲が盲に道を訊いて、盲が盲に道を教えるという構図です。
ですから、アカデミックな探求が全てとは思いませんが、先人の残した功績を踏まえて先に進む方が賢い探求だろうと思います。
もちろん、これは古代文字に竜の力が宿るとか宿らないとかの話ではなく、史学として歴史の真実を解き明かすための学問としての話です。おまじないのようなものの存在を肯定したり否定するのは、今の科学では難しいのではないかと感じてます。
ちなみに東大のレベルは世界では30番くらいです。世界の著名な学者が30人集まれば、その中で一番信用が無い状態です。
学者と呼ばれる人が何十年間も反日の巣窟と言われる日本のテレビに出続けていたら、その人は学問よりもお金を求める人です。学問ってのは、そんな甘いものではないからです。
御用学者は素人を騙すことができても、毎日を研究に捧げる学者たちの中では相手にされません。そういう意味では大馬鹿者です。
もちろん芸術を志す人も同じです。たとえ芸術に大きな代価が付いても、それは結果であり、それを目的としたときに芸術が失せ商売へと変貌します。そういう側面ではマスメディアとそれのみを信じるような烏合の衆は、芸術や文化の敵と成り得ます。