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古代史研究会から

縄文時代後期の亀ヶ式土器は、東北地方から北海道南部を中心に作られたと考えられていますが、西日本でも欠片が多く出土しています。

2017年に沖縄県北谷町(ちゃたんちょう)でも亀ヶ式土器が発掘されたことから、縄文人は北海道から沖縄に至るまで、丸木舟に乗って移動をし、縄文文化が広く定着していたことが分かります。

世界最古の土器は、青森県大平山本遺跡で見つかった16,500年も前の無紋土器です。
約二千年後、今から14,500年前には、縄文土器たる隆線紋土器が日本全土に拡がっていました。

アジア・アフリカで見つかった最古の土器は9,000年前のもの、欧州では8,500年前が最古です。しかも、日本の土器は他地域より質が良く、且つ出土した量も膨大です。

日本の土器より古い時代に、大陸でも木製の食器等が使われていた可能性は否定しませんが、文明的な生活に必須な土器が文明の起源だと定義するならば、縄文期以前、16,500年前からの古代日本が世界最古の文明ということになります。

黄河、エジプト、メソポタミア、インダス、世界四大文明は、森を切り開いて農耕や牧畜生活を始めたもので、後年に皆、砂漠化しているんですね。

木材は煮炊きにも使いますから、大量の人口が集まり、都市化が始まると木材資源の枯渇、つまり森林の砂漠化が進んでしまいます。

土器を焼くためには大量の木材が必要ですから、当時の四大文明人から見れば、巨大なエネルギーの無駄だったのかも知れません。

一方、縄文期の日本はと言えば、まだイノシシや鹿、熊、蛇、カエル、といった動物の狩猟や、木の実/果物/山菜/海藻等の採取、魚や貝類を獲る漁労、等で食糧を確保していました。

約6000年前の島根県や鹿児島県の縄文遺跡から、陸稲の痕跡が見つかっています。
プラントオパール分析法による検証が済んでおり、当時から陸稲栽培が行われていたことは確実です。

しかし当時はまだ四大文明のような大規模灌漑農業ではなく、陸稲米は、たくさんある食材の一つという位置づけだったようです。

米や麦等、穀物が大量に収穫できるようになると、乳児の離乳食が作れるので、人口が爆発的に増加したと考えられています。

その意味で、縄文期の日本は比較的人口が少なく、木材資源も潤沢に残っていたが故に、土器文明が発展したということかも知れません。

日本の水田稲作の痕跡として、福岡市の縄文期板付遺跡から一区画400メートルに及ぶ水田跡が見つかっています。

更に佐賀県唐津市の菜畠遺跡からは、縄文晩期の水田跡と、様々な農機具が出土しており、放射性炭素年代測定によれば、紀元前930年より以前のものであることが確定しています。

その後の日本各地の遺跡では、縄文土偶や石の棒は出土しますが、大陸の渡来人系の道具は一切見つからない。

これまでの証拠を並べてみると、紀元前300年頃に大陸や朝鮮半島からの渡来人によって稲作がもたらされたという説は、否定されます。

また渡来人150万人説というものもあるらしいですが、根拠薄弱で、説得力がありません。

成人T細胞白血病ウィルス(ATL)は、母乳を介して幼少期に母親から子供に伝染しますが、沖縄から鹿児島、宮崎、長崎辺りの住民を調べると、現代でも5%ほどキャリアが存在するそうです。

北海道にまでキャリアは分布しているそうですが、どれだけ調べても、中国や朝鮮半島等、大陸側ではキャリアが全くゼロらしいです。

またキャリアの分布を見ると、大陸文明の影響を受けたとされる九州近辺の方が、本州から北海道までよりもキャリアが多く、キャリアが居ない筈の大陸から大量の渡来人が来襲して根付いたという説とは、全く矛盾します。

更に男性から男性に受け継がれるY染色体を調べると、約3割の日本人男性がハプログループD1bに属するのですが、このY染色体を持つ男性は、大陸には、ほぼ居ません。
その意味で、日本人男性のY染色体は、中国系、モンゴル系、韓国系と全く違うんです。
大量移民や渡来人による占領を受けたとすると、あらかた渡来人男性のY染色体に置き換わってしまうので、現代までD1bが3割も残っているということから、縄文以前から日本は大量移民による乗っ取りや、侵略者による大量虐殺(選民)が行われた史実は無いというのが唯一、論理的に破綻の無い結論です。
(例外として、朝鮮半島の男性は、僅か1.6%ほど、このハプログループD1b染色体を有しているとの統計調査報告があります。)

同時に、朝鮮半島の考古学的事実を見ると、紀元前1万年から紀元前5千年までの約5千年間、まったく遺跡が発掘されておらず、この間は朝鮮半島がほぼ無人化していたと思われます。

紀元前5千年以降から、縄文土器を含む遺跡が出土し始めるのですが、その量は日本の遺跡群には遠く及びません。

ただ一つや二つではないので、大きく重い縄文土器を丸木舟に乗せて、命懸けで半島に持ち込んだとは考え難く、現地に定住した倭人が、現地で生産していたと考える方が無理がありません。

日本語という言語を調べてみると、シベリア等の北方のツングース語や、東南アジアのオーストロネシア語と酷似している一方、中国語や韓国語とは、言語学的に全く異質な言語であるとも言われています。

ここまで様々な根拠から科学的、客観的に、そして「素直に」無理のない仮説を立てるなら、日本は、ほとんど大陸の影響を受けること無く、縄文時代から弥生時代まで、連続して独自の文明や文化を発展・伝承させて行ったと見る以外の仮説は、何らの説得力を持ちません。

逆に、恐らく日本人の祖先は(何万年も昔の話ですが)シベリア方面のツングース語族や南方オーストロネシア語族に近く、縄文期に朝鮮半島へ渡り、後年(白村江の戦いで日本が実質的に任那権益を失った7世紀以降)に中華系大陸人に滅ぼされた結果、ハプログループD1bのY染色体の朝鮮半島での継承が(ほぼ)途絶えた、という仮説が成り立ちます。

1.6%残るハプログループD1bのY染色体を持つ韓国人男性は、縄文人の生き残りという見方ができるワケです。

史書を読むことと、遺跡等の考古学的資料を分析すること、時代ごとの地形の変化を検証すること、現代科学で仮説の裏付け作業をすること等でしか、過去を知る手立てが無いわけですから、科学的で、客観的で、冷静な目線で歴史を見ることが肝要かと思います。

要は、奇想天外な空想や偏った先入観を排除して「素直に」見ることです。

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