小規模: ~1 km3
中規模: ~100 km3
大規模: ~100000 km3
(http://blog.livedoor.jp/nara_suimeishi/archives/51865649.html)
長年西洋史でした。主にウィーンが関係するハプスブルクの初期近代史です。そして引き上げ後は日本史です。自分は何なのかという問い掛けへの壮大な模索ですね。
残念ながら、半世紀間くらい続いたウィーン時代のように、アカデミックな学びは不可能です。ですが考えようによっては、権力と金まみれが多い現在の日本の御用学者から距離を置くことができるのは、幸いなこととも考えられます。
日本の特殊な事情だろうと理解してますが、日本と半島、支那の多くの人々のポジショントークに騙されないようにするには細心の注意が必要だと感じてます。特に反日のためなら殺人でも何でも是とするテレビと新聞は言語道断です。
日本史の探索は古事記が第一歩でした。それが日本の歴史書で最古だからです。言わば種本ですね。しかし、現代語訳の古事記を読んでも理解納得ができませんでした。わからないながらも竹田恒泰さんや竹内睦泰さんの本は古事記理解の助けになりました。
そして、片っ端に古事記関連の書籍を読み漁った結果、古事記が子供の頃に読んだ新約聖書の感触に似ていることに気付きました。昼夜を問わず1点を考え続けている間に、たまたまリンゴの木の下での昼寝痛に頭にリンゴが落ちてきたわけです。
これが古事記から次のステップに進むきっかけでした。
聖書は様々な執筆者の思いが交錯して統一性に欠けてます。意図的に隠されたことも多く、理解不能な点ばかりです。
人には生まれた星や生き様により人それぞれが異なります。多くを学び瞑想し、精神的な痛みと努力と苦しみを通して視野が広がれば広がるほど、視野の狭い人に見えないことが見えてきます。その結果、当然ながら理解者は限られてきます。
ですから、確固とした思いを基盤に、他人に何かを伝えるのは至難の業です。視野の狭い人には見えない世界があり、狭い視野を拡げるのは不可能だろうと想像します。ですから不特定多数の全ての人々に理解を得るための努力は、徒労に終わります。残酷ながら、生まれた星が違うのではないかと感じるほどなのです。
もちろん、新約聖書に記された時代と地域では、ナザレのイエスという青年の思いが理解できない人が大勢でした。しかも、その多くが野蛮ですから、イエスとその周りの人達には命の危険もありました。
そのイエスについて記すに当たっては、隠蔽というよりも、意図的に触れないようにしたことも多くならざるを得なかったことが想像できます。
聖書は読む人の琴線に触れる素晴らしい内容です。ですが、いくら読んでも、封印されたことが多く、わからないことばかりなのです。
歴史の隠蔽は聖書だけでなく、ハプスブルク史と真面目に向かい合った者にとって身近なものなら Privilegium Maius のでっち上げにも見られます。もちろん古事記も同じなのですが、これに思い当たるまで3年間以上の時間を要しました。
古事記の大きな嘘に気付くと、本当の日本史が次の課題です。とどの詰まり、辿ってゆくと縄文時代に行き着くことになります。
縄文文化は1万数千年間も続きました。長いだけに地球の地殻運動と気候変化、ヤポネシアゲノム研究や土器などの工芸品の発生、日ユ同祖論、もちろん稲作の発祥と度重なる移民の流入も関係します。
そして、ご存じの方には当たり前のことなのですが、謎の鍵を握るのが火山噴火らしいところまでたどり着きました。恐竜が隕石の落下で滅んだのと同じように自然現象の威力は人知を超えてます。縄文文化も東北地方を除き火山噴火を契機として大陸へと拡散していったようです。ポンペイで起きた噴火よりもっともっと大きな自然現象でした。
中国大陸の稲作についても発見された稲の種子が日本古来の種と一致することが証明され、さらに大陸のものは発育不良だったことも判明してます。九州で育っていた稲の北限を超えていたわけです。稲作が半島から来たとかシナから来たというのは、反日渡来人のポジショントークだったわけです。
さらに、謎の鍵は縄文時代が1万数千年間も続いたことです。ヨーロッパ文化の始まりは数千年前のメソポタミアからの流れです。古代エジプトもそうですが、せいぜい数千年前のことで、1万5千年前に文化を形成したところは日本列島以外には無さそうなのです。驚くべきはその文化が途絶えることなく現在まで続いてきたことです。
10月27日は衆議院選挙です。地球史上で唯一無二の日本文化と大和民族が歴史から消えようというその瞬間の選挙です。せめて自分だけでも烏合の衆に加わらず無知の知を胸に刻んで生き抜きたいと願います。